『ミュージカル フランケンシュタイン』2020年版
2020.1.8-1.30 日生劇場
19世紀ヨーロッパ。科学者ビクター・フランケンシュタインが戦場でアンリ・デュプレの命を救ったことで、二人は固い友情で結ばれた。“生命創造”に挑むビクターに感銘を受けたアンリは研究を手伝うが、殺人事件に巻き込まれたビクターを救うため、無実の罪で命を落としてしまう。ビクターはアンリを生き返らせようと、アンリの亡き骸に自らの研究の成果を注ぎ込む。しかし誕生したのは、アンリの記憶を失った“怪物”だった。そして“怪物”は自らのおぞましい姿を恨み、ビクターに復讐を誓うのだった…。
1.25夜 2階D列上手 にて
再演嬉しすぎ。初演で「とりあえず全オタクは絶対観た方が良い…」と私の中でセンセーション起こしてたフランケンシュタインです。本当にありがとうございます。フランケンシュタイン運営は、公式Twitterが再演を14ヶ月前から元気にカウントダウンしてたり異様にクマ推しだったりお人形遊びしてたりクソコラしてたり*1と、何かと愉快なので好きですね。
劇場の女性らの会話が異色だった。私の(オタクしかいない)Twitter見てる気分になった。たまたま聞こえてきた会話がそういうのだっただけかもしれないけど。同様に、初演観た人が初見の人連れてきてるパターンも多い気がした。一幕終わって開口一番「わかった?」と友人に聞いてたの、ニュアンス的に絶対にストーリー等への理解確認じゃない。私にはわかる。
思考を放棄してて失礼な感じするから最近あまりヤバいとかエモいとかいう言葉使わんようにしてるんですけど、フランケンシュタイン、ヤバヤバすぎて、もう言語化できないだよね。初演の方も感想書いてたんですけど、自分で読み返して、よくもまあこんな冷静ぶった文章を書いたなと。というかそもそもいくら書くのに間空いたとはいえ、台詞の8割聞いてなかったのか?って感想で大変恥ずかしい。
相変わらず一幕は、何を見せられているんだと思ってしまうビクターとアンリの高濃度の友愛。「どうせあの日君に逢ってなけりゃこの人生なんてなかったのさ」と言うのは分かる。しかし韓国版の元歌詞がどうなのか知らないけど、それ以上にアンリは正に「恋をした」としか思えない。私は本気で恋愛と友情の違いが分からない。あのままアンリが生きていたら、ビクターはジュリアと結婚しなかったんじゃないかって結構思う。
リトルビクターの小林くんが、本当に大きな目をしており本当に可愛かったんだけど、絶対どこかで見たことあると思ったら2019年のレミゼのガブローシュだった。また会ったね…相変わらず凄いね…。
「君の夢の中で」で、アンリが断頭台に向かう動作と歌の力強さが、酷くミスマッチかつギャップに溢れててとても良かった。ここ2018年だとそこまで印象的ではなかったんだけど、今回すごく頭に残っている。最後まで笑顔なのが本当に…。
二幕からはビクター周りの人間(ルンゲ、エレン、ジュリア)がただただ可哀想なだけなのが正に呪い。本当に何もしてないのに。裏切ったとはいえジュリアもだいぶ可哀想なんだけど、最悪の結果は怪物アンリに関わったせいだし、コートだけじゃなくて呪いまで創造主から受け継がれてるような。いや、呪いは怪物そのものか。
最後、ビクターが「自分が何をした」と言うけれど、生命創造という神の領域に手を出したか否か以前に、生まれながらに手を出せる力を持ってしまったことが、ある意味可哀想。生まれる時代が違えば変わったかもしれないのに…。本当にフランケンシュタインは執事ルンゲちゃんしか癒しがない。
かっきーさん、ジャックのが圧倒的に輝いてる気がするし素に近いんじゃないかと思ってしまう。ゲス部分は置いといて。
一幕と二幕でちゃんと正装ドレスが全員変わってるの良いよね。ドレス可愛くて、思わずオペラでガン見した。
怪物の"復讐"は「大切なものを全て奪うこと」。そしてその復讐が「自分がビクター自身に殺されることで完成する」と、怪物自身が分かっていることの激重愛よ。激重感情でこっちが狂ってしまう。怪物とアンリは、同じ笑顔で二度死ぬんだ。
最後カテコでコートがお揃いになるのが大好きなんですよね。どうして怪物はずっとコート着てたのかなって何度でも考えちゃうよね。
関係ないけど、18世紀系演劇(?)ってどうして必ず、酒場のシーンかセクシーなお姉ちゃん達が沢山な娼婦のシーンがあって、悪役夫婦が元気に生き残りがちなんだろう。(e.g.レミゼ、ミスサイゴン、1789) ここの定石の理由が知りたい。
今回も初演で観た柿澤加藤ペアだったので、別の組み合わせも観たかった。再再演よろしくお願いします。あと、韓国オリジナル版が観たいなぁ。来日よろしくお願いします。
★★★★