芸術に拍手

全記事ネタバレ祭り。レポと感想と妄想が大渋滞起こしてる。

【考察】悠久から考える有賀加々美、間宮

 

有賀と加々美のメサイアの終着点について。
悠久乃刻を分解した考察です。
長い。まとめはありません。論理の飛躍や拡大解釈、多々あります。

 

 

書きながら気が付いたことが沢山ありました。

考えるほどに点が線で繋がる感覚に、「メサイアって面白い」と、改めて感じます。
ただ、3ヶ月前の記憶から書いているので、色々間違いがあるかも。
円盤発売したらこっそり直してるかも。

 

この記事では三人に焦点を当てているため、書ききれなかった部分(特に神門シンについて)もあります。
後日、悠久の感想記事にて書こうと思います(未だ書いてない)

 

 

 

 


有賀と加々美の卒業ミッション。
過去に特別なメサイアがいた人間といない人間が、どのような関係を築くのか。

 

 

 

 

序章〜卒業ミッション判明

卒業ミッションにおける試練

メサイアには、本来の卒業ミッションに、それぞれの関係性に関わる"試練"が付随します。
今回の“卒業ミッション”は「チャーチ学長である一嶋晴海の暗殺」、

そして"試練”は「片方が記憶を失くしてなおメサイアでいられるか」といったところでしょうか。
記憶を失くす。

それは過去積み上げた信頼が、記憶を失くした側からは失われ、残された側からの完全な一方通行になるということ。通じない思いと通じ合っていた過去の記憶、その狭間で苦しめられようとも、残された側はメサイアを魂の伴侶として思い続けられるか?が問われます。
(なお、双方の記憶喪失は論外とします。こうなるといよいよシステムに縛られるしか無くなるからです)

つまり今回の"試練”とは
「相手を唯一無二の”メサイア”として確立しているか」
であると考えます。単純ですね。
確立する、は「認める・受け入れる」とも言い換えられます。ただ、今回の有賀と加々美の関係では「能動的であること」がキーだと思っているため、こちらの言葉の方がしっくりくるように思えました。そのため以下すべて、「確立」と表現します。

 

メサイア展でのトークショーにて毛利さんと西森さんは「卒業ミッションにあたり、2人にとって一番“嫌なこと”を考えた」そうです。
嫌なこととは何か。過去をふまえると

有賀→メサイア(大切な人)を殺す
加々美→メサイア(依存対象)に捨てられる

ことではないかと推測します。どちらも「片割れを失うことへの恐怖」のように見えますが、その先の過程考えると少々ニュアンスが異なってくる。*1
サクラに必要なのは「深い絶望」。これが表すとおり、有賀と加々美はそれぞれのもっとも”嫌なこと”に向き合わされることとなります。

 

信頼と嫉妬

悠久乃刻で初めて、加々美いつきに関して依存性パーソナリティ障害というワードが出ました。

一部参考資料 http://www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/f60/dpd01.html


「俺の人生、忘れたいことばっかだけどさ」
という台詞の「忘れたいこと」は、劇中で具体的には語られませんでしたが「雲井蓮に捨てられないためにやってきたこと」でしょうか。
加々美の依存性パーソナリティ障害の症例は


・他人の保護を得るために、不愉快なことまでを行う

・自ら重要な決定ができず、他人に責任をとってもらおうとする


あたりが強いように思います。

 

物語冒頭で、加々美はマイクロチップ摘出手術を受けるか否か迷います。
この時はまだ加々美にとって、有賀は人生のレールを敷いてくれる依存対象でしかありません。
すでに役割を終え無意識下に沈められた能力かもしれませんが、今までの人生で研ぎ澄まされた“超嗅覚”により、加々美は有賀の中にある”メサイア 間宮”へのベクトルを敏感に感じとっていました。
有賀のベクトルは間宮に向かっていた。

今度は自分がその代わりになりたい。

でも当然間宮にはなれないとも分かっている。

有賀は今は、加々美にも間宮とは異なるベクトルを向けています。ただ加々美はそれに気が付いていても、信じきることができません。
なぜ、有賀を信じきれないのか。これは有賀が言葉足らずだっただけではなく、加々美自身にも原因はありました。
依存対象を一人に定める性質を持つ加々美にとって、人の愛というものは一方向に向いてもらわないと困るのです。


すなわち 嫉妬。
この辺りの信頼のジレンマと嫉妬の感情は、間宮についてわざと有賀が嫌がるであろう形で言及する点や、密かにヴァイオリンを練習していた点が分かりやすい。
嫉妬そのものはメサイアシステムにおいても悪いことではないと思います。ただその相手が故人であるにも関わらず、その感情による精神的影響が加々美にとってはあまりにも深刻だった。
加々美は己自身の価値を見出せず、間宮の代わりとしてではない加々美いつきとして、有賀のメサイアでいられる自信がなかった。それゆえ加々美自身の中にも、”メサイア 有賀”を描くことができませんでした。

 

加々美が極めて不安定なまま、卒業ミッションが与えられます。(一嶋係長は鬼かと思いますが、チャーチ崩壊寸前にワールドリフォーミング再調印が迫るなど、とにかくタイミングが悪かった)
雲井蓮を異常に恐れる加々美を心配した有賀に放った、
「全部忘れるんだぞ」
という加々美の言葉の続きにあるのは
「(今までの思い出、積み上げてきた信頼関係が全て消える。それでもお前は俺をメサイアとしてサクラになれるのか)」
という思いでしょうか。そのときの有賀は手術による副作用を知らないため、加々美の思いを汲み取れません。


卒業ミッションの内容を知った加々美は
「一嶋係長を殺すくらいなら卒業なんてしなくていい」
と、現状維持を望みます。自らの依存対象(有賀涼)を失うことに加えて保護環境(チャーチ)の崩壊までもが起こる可能性を感じたのかもしれません。
同時に、手術を受ければ記憶を失うことを有賀に打ち明け、「俺はどうすればいい」と重要な判断を有賀に委ねます。
しかし有賀は「手術を受けるべきだ」という結論のみを述べ、結論までの過程にある自身の思いは語りません。

ここは有賀涼という人間の悪いところであり、実に有賀らしい瞬間。加々美にはまるで「手術を受けないことで今後のリスクとなりうるなら、加々美からの信頼などはどうでもいい」という風に聞こえたのでしょう。
「あの時は撃てなかったけど今なら撃てる、そういうことっすか」
「やっぱ自分のメサイア殺した男は違ぇわ」
という昔の口調に戻ったうえ強い攻撃性をともなう言葉を吐くほどに、加々美の精神は乱れます。
一嶋の介入で会話は断ち切られましたが、このまま言葉を交わし、有賀が加々美へのベクトルを伝えていたら加々美は納得したか?と考えても、捨てられると思い込み、なかばパニックに陥っている加々美の心には届かなかったのではないかと思います。

 

 


第一回太万頭ミッション

加々美のメサイア確立(依存の選択)

第一回太万頭島ミッション終盤、チェーカーに操られた加々美に撃たれたとき、有賀はようやく自分の思いを語ります。
「俺がお前を覚えている」
「俺は争いのない世の中を創りたい。手伝ってくれ」
有賀の中で、加々美いつきの存在が確立されていることの明言。
さらに有賀は本当の願い(=自分の生きる意味)を伝えることで、「自分のやりたいことが分からない」と悩む加々美に「願いの手伝いをする」という人生の選択肢を与えました。*2
これは依存続行の選択肢でもある。有賀は、加々美の依存を決して否定せず、強要もしません。
「大丈夫だ」の語調は有賀にしては随分とフランクです。正直、以前の有賀では考えられない。

この有賀の変化は有賀自身の成長であり、また加々美にとっては過去との区別化を図るために必要な要因だったと思います。有賀がこれを意図的にやったとしたら、圧倒的スパダリポジを確立してしまいますがどうでしょうね。

またこの時の構図は、暁ラスト*3と逆転構図です。

しかし暁では、”手を握り合う“ことはしていたものの、“拳を合わせる“ことはしていない。
本作品において“拳を合わせる”行為は、メサイアの成立を意味すると考えてよいと思います。目に見える形での契約行為です。つまり暁時点では、真に”メサイア”とは成っていない。
この時初めて、有賀と加々美は互いに”メサイア”となるはずでした。しかし有賀の意識の限界と加々美の被弾により、契約は未遂に終わります。介入者神門シン、すなわち過去の因縁は未だ有賀を捕らえたままでした。

 

シンの介入により、記憶を所持し、残される側だったはずの有賀が記憶喪失となります。しかも記憶の抹消のみならず、サクラ候補生の有賀からは考えられないほどに人格が変わってしまった。かつて向けられていた信頼は0に戻るどころか、再会早々に向けられたのは敵意と銃口でした。
チャーチでは有賀はまだ候補生であるため当然有賀奪還を計ります。しかし果たして、上記した有賀の願いの告白(以下、便宜上そう例えます)がなかった場合、加々美は有賀を取り戻そうとしたでしょうか。
システム上のメサイアとしては奪還に向かうでしょう。が、サリュート
「世界の滅亡、それが有賀涼の本当の望みなのかもしれないよ」
という台詞で間違いなくつまづいていた、と考えます。願いの告白がなければ、先には進めなかった。
加々美は有賀の本当の願いと、その願いに自分が必要とされていることを、そのとき自覚しました。有賀の中にある“メサイア 加々美いつき”の存在を確信したことで、加々美自身の中にも”メサイア 有賀涼”の存在が確立します。
「あの時、涼は俺を取り戻してくれた。今度は俺の番だ」
と、残された者としてメサイアを救う選択を「自ら」選びます。

"メサイア"の確立と同時に加々美は「選択する」強さを得ました。
有賀の示した道は「有賀の願いの手伝いをする」ことでしたが、加々美はそれをただトレースしません。
「俺は涼を取り戻す。涼と同じ願いを叶えるために」
という台詞。「涼の願いを叶えるため」ではないのです。
加々美は生きていく意味として、有賀の願いそのものをトレースしました。

 

 


有賀のメサイア確立(意思の選択)

では、有賀の中で”メサイア 加々美いつき”が確立したのはいつなのか。
これは暁の段階だと思います。暁で、ネクロマンサーに乗っ取られた加々美を殺さない選択をした時から。

暁で有賀は加々美に対し、間宮殺害時と同じ状況に立たされます。そして悠久の、加々美に願いの告白をする直前の戦闘で
「あの時俺は自分が弱くなったから撃てなかったと思っていた」
「だが違う。俺は強くなったから撃たなかった」
と言いました。
鋼では、有賀は間宮の願いを叶える形で引き金を引きました。願いを叶える、というのは悪く言えば大義名分。

有賀は間宮を世界から消すこと、すなわち「自らの意思」と「仲間」を殺すことで、彼を地獄の世界から救いました。
間宮を生かし、間宮が生きる世界そのものを変える選択を、あの時の有賀にはできませんでした。

 

有賀涼は元来、自らの意思を選択できない人間だったのではないでしょうか。
記憶を失くしサードニグマに所属していた時の状態に戻った有賀は、全て神門シンの意思に従う形で動いています。何度か井澤さん自身が語るように、まさに「殺人マシーン」。
その言動の他者依存ぶりは、異常の域です。何なら加々美よりも顕著に。
サードニグマとシンの意思に従うことで生きてきた有賀は、一嶋にスカウトされた時もチャーチに入ってからも、生き方を自分で選択できなかった。でも、他人の願いを叶えるために動くことはできるから、間宮を撃った。
もし有賀と間宮のメサイアが上手くいっていたら、有賀は間宮の意思に従うような関係になっていたのではないかと思います。逆に間宮を手にかけなければ、有賀は意思決定ができない人間のままだった可能性も。有賀もまた、依存型の人間だったと考えます。

 

「二度と同じ思いはしたくない」
深い絶望と痛みを知った有賀は、鋼ノ章で己の意思を貫く強さを得ます。*4 この強さは、暁乃刻の時点では「弱くなった」と錯覚するほどに無意識でした。
しかし暁で加々美を救うことに成功した有賀は、「メサイアと共に生きていく世界を創る」ことができる選択肢が自らにあることに気が付きます。*5
加々美と共に生きる選択をした有賀に課せられたのは、ある意味、加々美の人生への責任です。
加々美は、有賀を新たな依存対象としています。有賀はその依存対象として責任を負うことで、加々美いつきを自身のメサイアとして確立させました。
結局誰でもいいように見えますが、組織とシンに依存する側だった有賀が「依存される」ことが重要なのではないかと思います。

それができたのはメサイアであり元来依存症であった加々美いつき、ただ一人。有賀にとって加々美の依存性パーソナリティ障害は必要依存だったのかもしれません。

 

加々美がチェーカーに操られ再び有賀との殺し合いを強いられたとき、加々美が必死で逸らそうとする銃口を、有賀はあえて自分に突きつけます。
初見では、「お前は俺を撃たないと信じている」という意思の表れかと考えました。賭けとしてはいささか代償が大きすぎますが。
しかし
「俺はお前を撃つくらいならお前に撃たれた方がマシ」
と訴える加々美を踏まえると、あえて自分を傷つけさせることで加々美を解放しようとしたのではないかと思います。
己の腹部に銃口を突きつけながら、有賀は
「俺はもう迷わない!しっかりしろ、いつき!!」
という言葉で訴えかけます。
有賀が迷わず選択するのは、「加々美と生きる、という己の意思」です。

後に加々美は
「俺はお前を傷つけてでも、お前を取り戻す」
と断言できるほど、有賀に呼応することとなります。

 

また、前項で、有賀の本当の願い=生きる意味と記載しましたが、
=“メサイア 間宮”
の意味もあると思っています。有賀の願いは間宮のかつての願いをトレースしたものです。
間宮の願いは有賀へ、そして加々美の願いへ繋がっていきました。

 

 

 

第二回太万頭ミッション

アイデンティティへのQ&A

有賀奪還に向かった加々美に突き刺さるのは、やはり敵意でした。
サードニグマ時代へと回帰した有賀は問います。
「お前は誰だ」
銃を向けられてなお”メサイア 有賀“を確立した加々美は
「加々美いつき。お前のメサイアだ」
と即答できる。そして加々美も問います。
「お前は誰だ」
と。「(お前の中の”メサイア 加々美いつき”を思い出せ)」と。

 

「お前は俺のメサイアだ」と語り続け、思考を植えつけるようでは未来に進めない。あくまでも有賀の内から“メサイア 加々美”と「本当の願い(=”メサイア 間宮“)」を思い出させなければならなかった。
しかし問い続けてもなおサードニグマの暗殺者であり続ける有賀に、遂に間宮の力を借りることにします。元々頭の良い加々美ですから、有賀の記憶を復活させる手段としてこの可能性があることは想定済みでした。
「あの人の力を借りなきゃいけないのは癪だけど」
という言葉には確かに間宮に対する嫉妬があります。ただしこの時点で既に加々美は”メサイア 加々美“の記憶復活から、「本当の願い(=”メサイア 間宮“)」の記憶復活にフォーカスを移している。
加々美は依存対象である有賀から、自身を切り離す決断をしました。
自身が一番嫌なことであろう「メサイアに捨てられる」ことを選びました。有賀だけでも先に進めるように。
加々美がヴァイオリンを練習していた理由は「涼の心に空いた穴を埋められたら」と言っていましたが、それは加々美の優しさと同時に、有賀に捨てられないための行動だったとも思います。
その行動が、今は逆に有賀から捨てられる可能性をはらむことになるというのに、なんて大きく強い愛なのか、と思います。

 

「俺のことなんてどうでもいい。思い出せ」
「創るんだろう、誰も悲しまなくていい世界を!」

結果、有賀涼を取り戻した決定打となったのは、ヴァイオリンの音色ではなく加々美自身の声でした。
有賀が自分を取り戻すには、”メサイア 加々美“と”メサイア 間宮“の両方の記憶が揃わなくてはならなかったから。片方だけでは足りなかった。

 

「お前は誰だ」
「有賀涼、サクラ候補生。お前のメサイアだ」
ここでようやく、それぞれ確立した”メサイア”が出会いました。
今まで、「メサイア有賀/加々美の確立」と表現してきましたが、「誰かのメサイアであること」はアイデンティティの一部でもあります。
悠久乃刻は他者依存型の有賀と加々美の、「自己の確立」の終着点でもあったのではないでしょうか。

 

 

 

魂の決別と共有

サクラ候補生としての自己を取り戻した有賀ですが、太万頭ミッションも卒業ミッションも終わってはいません。
第二回太万頭ミッション、すなわち神門シンの抹殺は有賀にとって親友を手にかけること。有賀の選択が再び試されます。

何故、有賀はシンを殺す選択をしたのか。
説得により、シンを殺さないという選択をする努力はしていたのです。しかしシンは
「俺は、俺の魂を曲げない」
と生き方そのもので、有賀の願い(平和な世界)を拒絶します。
世界を拒絶したのは、過去の有賀と、今の有賀の「魂の一部」でした。魂は、同じ天を目指しながらもいつしか言葉や思想を違えるバベルの塔に迷い込みます。
長年シンの思想を間近で支えてきた有賀は、シンの信じる正義がどれほど確固たるものか、痛いほど分かっていたのではないでしょうか。

今の有賀の魂を貫くには、相反する魂の共存は難しい。

 

しかし有賀一人では殺せなかった。銃を持つ腕を支えきれず一度下ろします。
有賀の選択が揺らぎます。
このとき、先にシンに銃口を向けていた加々美は、絶対に揺らぎませんでした。
だから有賀は再びシンに銃口を向けられた。メサイアとなった二人は、痛みも願いも、強さも共有できる。


加々美から促すように、チャーチの鉄の掟を唱えます。有賀も最初は絞り出すように、段々とはっきりと、それに続きます。
依存する側だった加々美が有賀を支えた瞬間であり、有賀が過去と決別した瞬間。
そして有賀はもっとも嫌なこと「メサイア(大切な人)を殺すこと」を、過去のメサイアとも言える存在に対して実行しました。

 

シンは世界に鉄槌を下すことを止めはしませんでしたが、最後に
「お前のやり方でいい。世界を正してくれ」
と、相手に寄り添った形で、願いを託しました。この言葉により、消されるべきだった有賀の魂の一部は、救われたのではないでしょうか。
このとき印象的なのは「加々美が泣く」ということ。何の関わりもなかった敵の死に対し、有賀の悲しみをそのままに受け、加々美は泣くのです。


有賀はシンを自らの手で殺しましたが、加々美もまたチェーカーを自らの手で殺しました。
二人とも、かつての依存対象を自ら葬ったことになる。
サクラとして生きるための、過去の清算が終わりました。

 

 


卒業ミッションの遂行〜サクラ

卒業ミッションの意義(生き方の選択)

ここまで全て"試練"の記載をしてきました。なんと"卒業ミッション"については一言も触れていません。ようやく卒業ミッションについてです。
今までの傾向から、卒業ミッションとは「最後に足りないものを補完する」役割を持っていると考えます。
一嶋の暗殺というミッション内容は、「サクラの必要性を示す」という外的役割を持つことは劇中で語られました。では、サクラ候補生本人に対する内的役割とは?
本来一嶋係長からしてみれば何より果たして欲しい目的は「サクラの必要性の証明」であり、この意味を持ったのは偶然かもしれませんが
「有賀と加々美に今後の生き方を自ら選ばせる」
ことであると考えます。足りなかったものは、ミッション外ですでに得たものではないか。だから最終的に、卒業ミッション自体に迷いは少なかった。
一嶋の暗殺は有賀と加々美の人生の岐路だったと思います。
チャーチを去る生き方もできたと思うのです。三栖と周のようになることもできた。
しかし有賀は、サクラとして組織に居続ける生き方を選びました。それどころかトップの命を握る裏ボス的存在に。チャーチ卒業前にして、世界平和のための重要な戦力を手中におさめてしまったわけです。強くなりすぎだ。

 

「誰も悲しまなくていい世界を創るため、俺はこれからも人を殺す」

大きな矛盾を抱えているこの言葉。

有賀と加々美の選んだのは人殺しの道です。世界を平和にするために、殺人は必要だと判断したのは自分自身です。

それが善か悪か、本当に正しいことなのか。誰にも分かりません。これが彼らなりのやり方、としか言えません。

 

 

 

生きる意味


有賀加々美のメサイアの特殊な点は、双方生きる意味が「世界」という外側にも向けられているところです。
多くのサクラたちの生きる意味は、「メサイアの存在」でした。日本の為に暗躍すること自体は、それこそシステム上の話です。
このシステムを超え、己自身の願いとしてサクラの任務を行うメサイアは初めてなのではと思います。
世界平和の願いは元々間宮星廉のもの。だから彼らの生きる意味は、今もこれからも、間宮と共にある。
チャーチを去る有賀は
「間宮も、ここに」
と左胸で拳を握ります。生きている証の心臓は、間宮と共に鼓動する。

 

 

 

 

 


サクラとなった有賀と加々美はこれからも、人を騙し、裏切り、殺し、自らを闇に浸すのでしょう。
彼らの願いは、永遠の霊杯ノ日とも言える。

 

「争いのない世界を創るため、俺たちは悠久乃刻の中で出逢った」

最後の景色は暁か黄昏か。
始まりとも終わりともつかない景色を巡り続ける彼らが、どうか強く生きられますように。
三人の願いが叶う、その日まで。

 

 

 

 

*1:余談ですがメサイアの存在とは本当に、卒業間近のサクラ候補生にとって生きる糧、根っこに当たるものになっていくのだなぁと改めて感じました。

*2:小星鉄の「遠矢の力を世界に知らしめる」という願いは有賀にも聞こえていたのかもしれません。自身の願いは、他人のために使うこともできる。

*3:有賀が倒れた加々美に寄り添うシーン。悠久を観てから改めて注視すると、加々美を守るように肩にまわされた有賀の手を、加々美が「縋る」形で握っているんですよね。

*4:「鋼の意思」とは主に白崎護に適用された言葉なのに、有賀と間宮の物語が「鋼ノ章」であることに一抹の疑問がありましたが、あの物語はやはり彼らの「鋼の意思」にまつわるものでした。鋼を経た有賀は「鋼の意思」を得ましたが、あの時は、世界を変える選択をした間宮の方が圧倒的に強かったのだと思います。

*5:有賀記憶喪失前、小星鉄が「危険だとは分かってた。でも、あの時はああするしかなかったんだよ!」と訴えた時、有賀は「俺も昔はそうだった」と答えました。提示された選択肢をそのまま甘受してきたことへの同意でしょうか。そして悠久の有賀は違うということも、この会話の中で既に表されていたのではないかと。