芸術に拍手

全記事ネタバレ祭り。レポと感想と妄想が大渋滞起こしてる。

滝口幸広さんについて

 

2019.11.15

 

「ご報告」なんてタイトルのブログ、「ついに結婚か!?」と思いながらページを開くまでの数秒間。

あの数秒間の気持ちに、戻りたい。

 

 

2011年頃、初めて映像でテニミュに触れた時、沢山のキャストの中で一番滝口さんの大石が好きだな、と思いました。それから1stキャストで唯一、ゆるくゆるく、応援した俳優でした。
ハイスクール歌劇団男組、ぼくとしょ全作、タンブリングvol.4、work shop、カレーライフ、TARO URASHIMA、板垣塾、全部滝口さんがいたから行きました。「これたっきーさんいるから行きたいな」も「今度行く舞台、たっきーさんいるじゃんやったー」もありました。

 

推しではないはずなのに、2014年のデビュー10周年バースデーイベントの滝口レストランも行きました。

俳優本人が、ビュッフェの料理作るって。一人一人にスープを手渡してくれました。昼ゲストの大山真志さんと中村龍介さんとどつき合いながらワイワイしてた姿、ドリームジャンボ宝ぶねのぬらりひょんの歌を歌ったこと、最後のお見送りで前にいたファンの人のお話を真剣に聞いていた横顔を、よく覚えています。あの時のお見送りが、最初で最後の握手でした。

 

推しではないものの、当然のように行った明治座主演舞台の滝口炎上。こんなに深い愛の下、名付けられた作品タイトルはあるのでしょうか。
滝口炎上のとある1枚のブロマイドは、他のどの俳優よりも、どの作品の何よりも、世界で一番美しい写真だと本気で思っています。白背景で何の変哲もないのに、あれほど心惹かれるブロマイドはありません。

でも一度しか観ていないから、記憶が曖昧なんです。円盤は廃盤。でももう一度観たい。

 

推しではないけれど、戦国鍋のライブ、るひまの2部、見知った俳優さんが沢山舞台上にいても、よく目で追うのは滝口さんでした。
毎年のるひまの年末舞台では、なぜかよく位が高い役で、情報が出る度に真っ先に「今年もたっきーさんの役は位高いのか」をチェックしていました。出演しない可能性は考えていませんでした。いることが、当たり前でした。

 

推しではないのに、雑誌に滝口さんが載ってるページはちゃんと切りとって残していました。最推しと作品以外で切り抜きを残していたのは滝口さんだけでした。

11/13の夜、ふと、マガジンファイルを買いました。それなりに綺麗に本棚に収まっていたから、整理しようなんて一切思ってなかったのに。暇な時にファイリングしようと思ってたのに、寝る直前にどうしてもやりたくなって、日付線を越えた11/14の深夜1時からファイリング作業を始めました。数は多くないし、5年前と少し昔の雑誌だったけど、残していた滝口さんのページを見返して「やっぱ顔が良いな」と思いつつ。あの時もう、あなたはこの世にいなかったんですか。


推しではないけど顔ファンだからと、疲れた時には「滝口幸広」で画像検索して、何度も見た写真一覧を何度も眺めていました。

インスタを始めたことで、今まで時間割の名前でシンプルだったブログタイトルの一覧が文字だらけになって少し寂しかったけど、生存確認の機会が増えたことが嬉しかったです。インスタも最初は料理写真ばっかで、レシピ載せたりしてて、「らしいなぁ」と思ってました。半年経った頃から自撮りや自分が写った写真が増えて、嬉しかったです。

今日が、滝口幸広Instagram開設1周年です。

 

 

若手俳優、特にテニミュキャストから故人が出るなんて考えられなくて、何もかも私が死ぬ方が早いんじゃないかとすら思っていた。そして青春の舞台は地続きで、どこへ向かっても、いつかまた道は交わると。その機会はいつか来るのだと夢見てた。青学3代目会、大石会。テニミュだけじゃなくて、アワレンジャーとか、そういう幸せな縁の夢が沢山あった。それが叶わなくても、夢を見続けられるだけで幸せだった。どこかで生きてること、ただそれだけで良かった。
たっきーさんに惹かれたきっかけの大石秀一郎、生で見てないのに、歴代で一番好きな大石です。テニミュ1stキャストで一番好きです。ドリライ2018で、またテニミュの舞台に立ってくれてありがとう。1stを見られなかった私にとって、奇跡の瞬間でした。テニプリパーティーで大石くんを描いてお祝いしてくれてありがとう。年末のる変でテニミュパロやるんでしょう。安土学園レギュラーの大石みたいな役だったんでしょう。私はこの縁も、ずっと楽しみにしていたよ。

 

誰にも話したことないけど、「幸広」って良い名前だなとずっと思っていました。もし自分に子供ができたら名前の一候補にしたいと思うくらいに。

普段人の名前見てそんなこと考えないのにずっと強く思っていたのは、滝口幸広という好きな俳優が、「幸せを広める」人そのもので、"名は体を表す"という言葉にぴったり合致していたからなんだと。だから名前も良いな、好きだな、と思ったのかもしれない。

どうしてこんなに過去形を使うことが悲しいんだろう。

爽やか好青年の顔してるのに、口が悪いたっきーさんが好きです。アニキみたいな顔して、実際面倒見の良いたっきーさんが好きです。賢そうな顔して、ポンコツと弄られまくりででもやっぱり人として賢いたっきーさんが好きです。顔だけじゃなくて、中身まで大好きです。毎回舞台観に行ってないしテレビ録画してないしSNSチェックしてない所謂にわかだけど、今、訃報を見て俳優仲間やスタッフさんが語っている彼の人物像が、私の中の彼のイメージと寸分も変わらない。

 

ご報告のブログを見た時、血の気が引いた。嘘だと思ってしばらく涙は出なかったのに、平野良さんのブログを見た後から一時間以上涙が止まらなくて、寝て起きても夢じゃない。訃報の記事を何度も読み返したのに、まだ嘘だ夢だと思っている自分がいる。

 

推してないと思ってたけど、今初めて、確実に特別な俳優だったことに気が付いた。

まだ、お祈りができない。

 

 

 

 

https://ameblo.jp/takiguchi-sd/entry-12545404146.html

 

 

 

 

 

 

 

2019.11.19 追記

 

 


https://twitter.com/ren_official/status/1195298241102802944?s=21

https://twitter.com/ren_official/status/1195558197957804033?s=21

まず初めに。八神蓮さんがTwitterで滝口さんへのメッセージを集めて、ご遺族の方にお渡ししてくださるそうです。6000件を超えるメッセージを扱うなんて、どれだけ時間のかかることか…。そしてこのメッセージ数。言葉に出来ないものがあります。

 

 

 

17日に告別式があったそうですね。あらゆるニュース、トレンドになるほどのツイートの嵐を見続けてなお、私は訃報を実感できないままでした。物販代行してもらった鉄ライのブロマイド、まだ受け取っていないんですよね。ついこないだ出たばかりであなたから貰えるものがまだあるのに、おかしいな、というか。

これは笑い話なんですが、15日は仕事休みました。いや、行こうとはしてたんですが、朝起きてからまた涙が止まらなくて不審者すぎたの‪で諦めて上の記事書いてました。書きながらとんでもない悪寒はしていたのだけど、午後から行こうと電車に乗って直射日光に当たってなお悪寒が止まらず、ふと「私まで死ぬわけにはいかない」と思い出社を諦めました。普通に風邪をひきました。胸の圧迫感もあって私も思わぬところで死ぬのかもなと真面目に思いました。たっきーさんのおかげで若干「いのちだいじに」を覚えました。

 

真面目な話に戻ります。

 

私はたっきーさんが気になると思いつつ、鉄ミュスピンオフと鉄ライに結局行きませんでした。薄情と思われるでしょうが、行かない選択肢をしたことを後悔はしていません。当時の私には行けない理由があったからです。「推せる時に推せ」と言います。でもきっと、いくら会っても、いくら伝えても、キリがない。もしかしたら好きな人ほどそう思ってしまうのではないかと思います。満足と後悔の境目なんて、あるのでしょうか。

私が唯一後悔していることは、私が受けた思いと感謝のほとんどを、たっきーさん本人に伝えられなかったことです。

滝口炎上の頃に一度くらい手紙は書いたと思います。書いたと思う、というくらい曖昧で内容なんて覚えていない手紙。滝口炎上以降もたっきーさんからもらったものが沢山あるのに、そのほとんどを本人に伝えられませんでした。チケット代以上のものをもらっていたのに、金銭で返せなかった分を、私は溜め込んだまま返すことができませんでした。(上で散々で「推してない」と言っていた一番の理由がこれです。そしてこれはあくまでも、私の推し定義です。)

仮に伝えたところで、相手の為になっただろうとは微塵も思いません。自己満足とすら思います。ただ、0よりは1でありたかった。

 

先日書いたもの含めて、読み返すと自己中心的で、特に本当に推していた方々に失礼極まりない内容だなと思うばかりです。ご不快に思われたら申し訳ございません。ただ、これが滝口幸広さんという人に対して、おそらくこの時しか出せなかった、正直な思いでした。忌憚なき記録をお許しください。

 

 

 

 


たっきーさん。あなたの顔が世界で一番好きです。多分私の昭和顔好きの原点です。特におでこ出ててる髪型の時が最高に男前だなと思います。インスタ更新される度に本当にカッコイイなと思ってます。好みの顔を聞かれた時、テレビの有名人しか知らない人達に「誰?」と言われようとも、いつもあなたの画像を見せています。今年こそブレイクするといいですね。るひまの年末舞台ではあなたのブロマイドだけは毎回必ず買ってます。る変は12/29夜に行きます。元々28か29が行ける日だったのですが、あえて29夜公演をとった理由は、S席特典ブロマイドにあなたがいたからです。引くほど似合ってるなと思ったパイロットじゃなくて、麒麟ですけども。おまえ見てるの顔だけかよって感じですが、先日久しぶりに見たぼくとしょ2の智恵子抄でまた泣きました。あれは舞台好きな人全員一度は見てほしいくらい、本当に素晴らしかったです。何度も再放送されている戦国鍋、ヘアアーティスト毛利大好きでした。普段のたっきーさんからは想像もつかないようなつめっっったい演技、最高です。る戦では、トノケラという若手のキラキラユニットがあるにも関わらず、なぜかるひま古参随一の個性爆弾集団ギリギリーンに組み込まれてしまった井澤巧麻くんと仲良くしてくれてありがとうございます。初共演のはずなのに肩に手置いたり腕掴んだりやけに仲良さげな写真が多くて、きっと輪に入れるようにしてくれてたんだな、そういうところがたっきーさんだよなと嬉しかったです。インスタで9/7に上げていたエーステ動画で「でも今可愛いって言ったじゃないですか」と言われて一瞬眉を顰める仕草が好きすぎて、A3知らないのに30回は見ました。でも最後の一瞬の笑顔も大好きです。しかし滝口食堂なんて、楽屋にあんな豪華な差し入れできるの、あなたしかいませんよ。ファンに料理提供できる俳優もあなたしかいませんよ。イケメンで俳優できて料理できて麻雀できてそんで心までイケメンなんて、どれだけハイスペックなんですか。俳優辞めてもいくらでも生きる道あるじゃないですか。それでも俳優を続けてくれて、表舞台で笑顔を見せてくれてありがとうございます。いつも私たちに楽しいとか面白いとか嬉しいとか、そんな幸せな感情をくれてありがとうございます。

これは全部、私の中に溜め込んだままあなたに伝えられなかったことです。せめて、「滝口幸広という人は、こんなことを思わせる人間だったんだな」と将来たっきーさんを知らない誰かに知ってもらうために書き残しておきます。

 


たっきーさん。私はきっと年末のる変で「舞台上にいないのを見た時」、ようやくあなたの死を理解できると思います。

Twitterで見ました。る変の千秋楽が、四十九日だと。あんたすげーよ。これだけの人に想われてるのだから、極楽浄土に行けないはずがないじゃないですか。そしてあなたが極楽浄土に行けるなら、私は信じられずとも祈るしかないんです。

 


滝口幸広さん。これからもずっと大好きです。

ご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020.11.13 追記

 

 

 

一周忌です。

もう1年か、というよりまだ1年か、という思いです。何度、たっきーさんの死の事実を身に刻んだことやら。でも今後は「もう〇年か」と思うのだろうな、と思います。

この1年間、定期的にたっきーさんのことを思い出してました。故人のことを思い出すと、その人の周りに花が降るという話を聞いたことがあります。私たちはお墓に花は持っていけないから、天国にいつまでも沢山花が降っているといいなあ。

いまだに信じられない自分もいます。芸能人は特にそう。引退したとしても、私たちは会えない、姿が見られないのですから。だからたっきーさんも、ただの引退なんじゃないかと思ってしまう時もあります。いつかふらっと戻ってくるのではないかと。

2020年、大変ですよたっきーさん。大きく変わった今の世界で、仮にあなたが生きていたら何をしていたでしょうね。料理?麻雀?インスタでのレシピ投稿が増えていたかな?

今年いっぱいでON STAGEで配信されていた「滝口幸広のちょっとだらだら喋ろうよ」のアーカイブが消えるそうです。いくらデジタルであろうと、形あるものはいずれ無くなるものですね。きっと今まで発売されたDVDやBlu-rayディスクも、いつか見られなくなる時が来る。新しい写真が増えなくなっても、生きた証が見られなくなっても、やっぱりたっきーさんの顔が世界一好きだし、あの快活な笑顔は忘れられない。

もうこの記事は更新しないと思います。でも私が生きている限り、いつまでもあなたのことを覚えています。

沢山の想いをくれて、本当にありがとう。